■ 沿革
豊橋陸軍病院の院長(軍医大佐)に就いていた竹内雅休は同病院を退職後、昭和4年(1929)随所に大正から昭和初期に見られる和洋折衷様式を採用した『岡田医院』を建築、開業しました。名古屋の熱田で開業していた雅休の長男一夫は週末岡田に通って父親を手伝い、やがては岡田医院を継ぐ予定でしたが、一夫が太平洋戦争で戦死したため実現には至らず、雅休は昭和25年(1950)まで同医院を続けました。その後は竹内家親族の住まいとして、また別の医院が使用した時期もありました。現在は、主屋1階を岡田街並保存会が管理しながら活用されています。
平成27年(2015)有形文化財に登録されています。
■ 主屋 木造2階建 入母屋造 桟瓦葺
外観は軒を船枻造とした日本建築ですが、小屋組は洋小屋トラス構造になっています。1階は南側に茶人の手による庭園を鑑賞できる和室三間と応接室、北側に玄関、浴室等の水廻り、茶の間、女中室、北側と南側の間に廊下を通した中廊下式とし、三方に広縁と廊下を回した間取りです。洋間の応接室天井の漆喰装飾は見所があり、上げ下げ窓と色ガラスが嵌められた欄間が彩りを添えています。浴室は唐傘形天井で、出入口戸にも色ガラスが用いられています。
現在「あとりえ 縁プラス」が応接間を利用しています。
■ 診療所 木造2階建 寄棟造 桟瓦葺
外壁は上部をモルタル塗、下部をレンガ色モルタル塗横溝彫り、各階窓上にコーニス(蛇腹)を廻しています。玄関扉をタイルが門型に囲い、半球と四角錘を連ねた装飾を施した庇が付き、その上部壁にはアクセントにレリーフが施され、凛とした佇まいを見せる洋風建築です。1階は玄関、待合室、調剤室、診察室、処置室を配し、2階は6帖二間続きの和室は、看護婦の居室として使用されていました。
現在「伝承知多木綿 つものき」が機織り工房として使用しています。